1992(平成4)年8月9日(日)

第5回 矢車会 夜の部

国立大劇場 17時開演 3階12列20

一、寿末広狩

二、水天宮利生深川

三、四世中村富十郎追善 京鹿子娘道成寺 道行から押戻しまで

 

一.寿末広狩

大名:権十郎 太郎冠者:智太郎

 

 末広狩(扇)を買いに行った太郎冠者が末広狩が何かわからず、

騙されて傘を買ってきてしまう。大名は呆れ、太郎冠者は気を

取り戻そうと踊り出す。とぼけた雰囲気で明るい智太郎の太郎冠者

と古風で重々しい権十郎の大名で息ピッタリで狂言と舞踊がマッチ

して面白い。権十郎の大名が太郎を呆れていじる姿が良かった。

 

二.河竹黙阿弥歿後百年記念 水天宮利生深川

  浄瑠璃 風狂川辺の芽柳

筆谷幸兵衛:富十郎 

茂栗安蔵:権十郎 長尾保守(巡査):我當 お雪:浩太郎

お霜:松也 三五郎:團蔵 金兵衛:松助 おむら:東蔵

大家:寿鴻 ほか 清元志寿太夫出演

 

 芝居の展開が興味深い。最初の盲目のお雪がお金をめぐんで

もらったり、幸兵衛が水天宮の神様の絵画をもらってきて、

それを供えて、幸兵衛親子が祈りアットホームな雰囲気から

始まる。やがて金兵衛と安蔵が、幸兵衛に借金を取り立てに

きて窮地へ、そして、借金苦と貧乏から幸兵衛はとうとう気が

狂ってしまう。隣家よりお祝いで清元が流れて来る。筆を投げ

たり、箒をもって暴れたり、赤ん坊をさかさにもったり、大家

を殴ってハラハラさせられる。大詰めは、水天宮の絵画をもって

赤ん坊を抱え、川へと飛び込み、狂いもなくなり助けられる。

水天宮の御利益とお金をめぐんでもらってハッピーエンドで

幕となる。全体的に暗いのだが、どこか痛快で安堵感は黙阿弥

らしさなのか。

 幸兵衛のような時代についていけない没落した武士の悲劇と

当時明治初期の風俗がからみ、明治まで生きた黙阿弥の作風を

感じた。風俗が面白い。まず安蔵の衣裳で、ブーツに蝙蝠傘、

スーツに山高帽と現代ではおかしみあるが斬新な格好である。

それを古風な権十郎が演じているから面白い。我當の巡査も

サーベルに西洋風の警察衣装で、幸兵衛へのやじうまに

「やかましい~」と一喝する姿は明治の警官の姿だった。

 富十郎ほか役者も良かったが、ストーリーや風俗に目を

見張った。

 

三、四世中村富十郎三十三回忌追善 京鹿子娘道成寺

                道行から押戻しまで

白拍子花子:富十郎 押戻し(大館左馬五郎):羽左衛門

所化:我當東蔵、亀鶴、玉太郎、智太郎 ほか

 

 鴈治郎菊五郎福助など観てきたが、今回は押戻しまで

の上演で、なかなか上演されないので、これを観たさに

チケットを購入した。

 鴈治郎は日本古風のふくよかさがあり、菊五郎は鐘への

執着を鋭い眼で表して、クドキといった乙女心もあり、

福助は美しさに見とれた。

 富十郎のは、初世が初演され家の芸であり、烏帽子姿は

富十郎自身舞ながら謡い、最初から家の芸を意識してか、

改めて格調の高さが伝わってくる。白拍子姿はかわいらしく、

蛇の化身は衣装と共に凄みがあり、前シテの白拍子姿が

嘘のように思わす。

 わずかな出ながら、存在をしるす羽左衛門の押戻しは

追善らしく迫力ある。筋書には高下駄履いた姿であったが

実際は履いて出てこなかったのはなぜか。

 所化は、舞のうんちくは智太郎が、四世富十郎のことは

我當が思い出と共に語る。鐘入り後、所化が鐘のことを話し

花四天が現れ、一人一人が流行を取り入れ話す姿が可笑しい。

 押戻しまであると、何度か観た道成寺も新鮮に感じ、

改めて不思議な舞踊と思えた。

 隣席のご婦人が幕切れで「わあー」って叫んで大拍手、

ご婦人も娘にしてしまう道成寺だったのかなと思った。

 

所感)

 富十郎の自主公演ながら、本興行なみの雰囲気だった。

また「筆幸」や押戻しまでの「道成寺」と珍しい演目も

観れたのは良かった。自主公演の取柄であろう。

(当時の感想より)

 道成寺を押戻しまで観たのはこれが初めてで今後もあまり

観ることは少ない。踊り巧者の富十郎の醍醐味と、重鎮から

若手までの座組で集まり、富十郎の人柄を感じた。しばし

毎夏足を運ぶことになる自主公演となる。

 8月8~9日の公演で、昼の部は、東蔵と浩太郎で春雨、

富十郎辰之助で連獅子・智太郎の汐汲・富十郎鴈治郎

松江の積恋雪関扉でした。 2020.6.6