平成3年1月2日

浅草花形歌舞伎 夜の部 3等席にて


一.車引

梅王丸…橋之助  桜丸…児太郎
松王丸…左団次  藤原時平…秀調


 児太郎・橋之助兄弟共演で、荒事の梅王丸の橋之助
立役らしく忠実に六法や元禄見得、隈取といった荒事の
芸を熱心にやっていた。声量も良く花形歌舞伎らしい
配役といえる。これからの役者さんだから、このような
大きい役を与えて良かったと思う。
 和事の桜丸の児太郎は普段女形ばかり見ているから、
立役は珍しく感じた。違和感を感じたが、柔らかい感じが
して和事ってこんな感じかなと思う。今まで綺麗な女性を
見せてくれたから、あまり立役をやらない方がいいかも
しれない。
 松王丸の左団次はおとなしい感じもしたが、若手を
押して貫禄がある。
 時平の秀調は迫力かけるが、梅王丸・桜丸を威嚇する
姿が印象的。
 渡辺保氏の劇評では「橋之助の梅王は上半身が前傾して
いて形が悪く…児太郎の桜丸は柔らかみが不足。秀調の
時平は役違い。左団次の松王丸はさすが一日の長がある」
とあり、日経劇評では「橋之助は調子を張ると声が割れ、
児太郎は女形めき、秀調の時平も貫禄不足…」と辛い批評
ばかりだったが、荒事の醍醐味を味わえたり、他の控えた
演目よりは明るくさすが江戸前の歌舞伎のように感じた。



二.壷坂霊験記
沢市…勘九郎 お里…児太郎 観世音…七之助


 暗い話が序々に明るくなっていく展開は、勘九郎
沢市と児太郎のお里夫婦と共に新鮮さを感じた。特に
児太郎のお里は生活苦ながら、沢市を慕いつつ、明るく
健気に生きる姿が出ていて良かった。沢市が呼ぶと
「はぁ〜い」って明るく返事をするところなど、癖も
なくかわいく見えた。
 勘九郎の沢市は、最初の誤解するところは説得力
欠けたが、身投げする気持ちや目が開いたところでの
愛嬌などが良く、お里と呼び合うところなど妙におかしく
仲のいい夫婦、新鮮さを感じる夫婦と思わせる。
 七之助はかわいらしく、役に忠実。
 ほのぼのとした何の変哲もないストーリーだが、
伝わってくるものは大きかった。



三.与話情浮名横櫛 源氏店
与三郎…八十助 お富…澤村藤十郎
蝙蝠安…松助 多左衛門…左団次 ほか


 実際に見てみたかった演目の一つ。ビデオで菊五郎の与三郎、
時蔵のお富、三津五郎の蝙蝠安、権十郎の多左衛門という顔合せで
見たことがあった。かつての恋人に再会した男の悔やみや哀愁を
感じ、一人ひとりのキャラがクセのあるキャラなので面白いと
思っていた。
 八十助初役の与三郎は優しすぎる与三郎だが、かつて若旦那
だったというところはうまく出している。「もしご新造さん」と
寄っていくところから「しがねえ恋の情が仇」と続ける台詞まで
柔らかく、与三郎はこれでなくちゃ…と感じさせる。幕切れの
お富を抱くところは八十助のイメージも変えられてしまった。
ビデオで見た父三津五郎との蝙蝠安の親子コンビで見てみたい。
 松助が先代が当たり役とした蝙蝠安に挑戦している。これも
足を運んだ理由の一つ。ビデオで見た三津五郎が良かったのか、
仕草がどこか雑で、アクも足りないかも。
 藤十郎のお富は、助五郎の藤八に「このおしろい、どこのです
か」と問いに、照れくさく「○○堂…」というおかしさはあった
が、落ち着きすぎでアピールが足りない。八十助を引き立てて
いたのかもしれないが、強いイメージを出して欲しかった。
 左団次の多左衛門は落ち着いたもので、与三郎とお富をうまく
引き立てている。「火の用心を」の台詞はお富の兄を印象づけ
させる。
いいところ、悪いところが見える「源氏店」という感じだった。


四.棒しばり
次郎冠者…勘九郎 太郎冠者…八十助 大名…松助


 小学校の教科書に載っていて勉強したが、実際見てみると、
作者が踊りの名人といわれた六代目菊五郎と七代目三津五郎
手を縛られたらどう踊るか…という趣向を凝らして描かれたもの
だそうで、勘九郎と八十助コンビで見て、足だけで調子よく
リズムをとり、軽快に踊っていた。ワクワクさせられ、お正月
らしさがあった。
 出演の三人が自ら楽しそうに舞ったり演じたりしているので
その気持が、見ている自分たちの方へ伝わってきて、気持が
役者と観客で一致する感じで、いい演目であった。
 勘九郎や八十助の愛嬌やかわいさ、おかしさが一気に出て
くれた舞台であった。松助もおどけたり、ユーモアたっぷり。
 三人で寄り添ってニコニコしながら、首を振りながら調子を
取って舞う姿は印象深い。



(回顧)


 芝居の初日を初めて体験。
オヤジからは「初日なんて生意気だ」って言われる始末。
浅草は、この観劇の機会がなければそんなに行かない場所。
これを機に1月は浅草に行っているかも…やがては平成中村座
まで続く。
 この正月の浅草に、八月歌舞伎座と七月中座と、勘九郎さんに
八十助さん、福助さん、橋之助さんらの研鑚の場所になっていく
時期だった。
 壷坂霊験記は見るまでは、霊験なんてつくから、お化けか
勧善懲悪的な話だろうって思っていたが、意外や夫婦の話…
「妻は夫を慕いつつ…」という義太夫は、歌舞伎や文楽
知らなくても、聞いたことがある節だそうだ。
このときは、まさかご当地壷坂寺へ行くとは思ってもおらず。
七之助さんもこの頃は幼児期…かわいらしかったです。
 これ以降は八十助(現・三津五郎)さんは与三郎をされて
いないし、松助さんもこれ1回だけ鬼籍に入ってしまった。
三津五郎さんにはそろそろやってほしい。