平成3年2月ごろ 芸談メモ

☆十七代目中村勘三郎由縁御話(敬称略)


勘三郎が勘平を演じていたとき、切腹のところで
おかや役か後見が血糊を渡そうとして誤って落として
しまい、頭にきた勘三郎は落ちた血糊を渡した人の
手をつねったそうである。
 拾って渡してくれたのは、千崎を演じていた
十一代目団十郎であった…(澤村藤十郎談)


◎ある芝居で後見が失敗をし、頭にきた勘三郎
その後見を楽屋玄関先まで追いかけたそうである。
(お袋がどこかで聞いてきた話)


◎巡業先で泥棒に遭った勘三郎は、警察の事情聴取で
被害総額を見栄を張って大金を言ってしまった。
(本人談)


◎麻雀で女優の森光子に「小三元」で負けた勘三郎は、
森光子が出ている舞台を見に行ったとき、客席より
小三元小三元!」ってつぶやいて困らせた…
勘九郎談)


勘三郎は、麻雀で勝ったときは玄関まで送ってくれるが
負けたときはさっさと寝室に入ってしまう。(森光子談)


勘三郎が銀行にお金を預けることがイヤで、自宅金庫に
全財産をしまっていたという。(その金庫が開かなくなって
しまったこともある)金庫を開けて勘定している父勘三郎
姿と、貯金箱を開けて小遣いを数えている息子勘太郎の姿が
似ていて、勘九郎は驚いたという。(勘九郎談)


勘三郎は「加賀鳶」など憎らしい役がうまく、
忠臣蔵」の師直などもメイクにこったりして、客が喜ぶと
益々その気になったという(祖母の話)



☆四代目市川左団次御笑話(敬称略)


◎芝居では遊ぶ二代目鴈治郎は楽屋では緊張を隠せず、
神棚を拝んだり、人の字を手に書いて飲み込んだり
していた…
左団次が神棚のろうそくの火を消したりすると
怒っては拝み直していた。(勘九郎談)


◎風呂に入っていた左団次はおならがしたくなって、
一度風呂からでて、ある役者の楽屋まで行って、
「何しに来た?」という問いに、「おならしにきた」
といってブッとやって風呂に戻った。
「一人でやるのはつまらない…」(本人談)


◎芝居中、おなかの調子が悪く、幕間でトイレに行き、
誤って便器に小道具の数珠を落としてしまったが、
出番が迫り洗わず、そのまま舞台へでてしまった。
ほかの役者から「何かくせえ」ってつぶやかれた。
(本人談)


◎出番前に、ステーキにお稲荷さん、鰻、そばなど
立て続けに食べたため、芝居中はゲップばかりして
台詞が言えなかったことがあった。(本人談)


◎「忠臣蔵」で由良之助に言い寄る家臣役を
左団次と勘九郎らがやったとき、突然ブッという
おならの音。左団次の仕業で勘九郎に客席にも
聞こえるような声で「ノリちゃんごめんね」って
言った。(勘九郎談)


◎巡業先で左団次と勘九郎は宿泊先が相部屋になった。
案内してくれる女中さんの前で、左団次は勘九郎と腕を
組み、「勘九郎さんとあたしの部屋どこ〜」と叫んだ。
また寝るとき、左団次がバスタオル一枚でクーラー、
扇風機つけっぱなしで寝てしまうので、寒くなった
勘九郎は待合室で寝たという。(勘九郎談)


◎「俊寛」で瀬尾をやっていた左団次が俊寛
斬りかかろうするシーンで、千鳥をやっていた勘九郎
応戦のため貝を投げたところ、誤って貝が左団次の顔に
当たってしまい、真っ赤になって目の色変えて、俊寛
ほおっておいて、勘九郎の千鳥を追いかけたという。
勘九郎談)


◎歌舞伎教室のインタビューで、「伊勢音頭のお鹿を
されていますが心境は?」って聞かれたところ、
「普段は女性の下着を着けて、掃除機かけたりしてるん
ですよ」って答えたところ、舞台裏はいつものことと
爆笑だったが、客席はポカーンと口をあけ唖然として
しまったという。(本人談)


◎巡業先で、地元の館長さんが挨拶に来ると、菊五郎
相部屋だった左団次は、真面目に挨拶する館長さんの前で
「浣腸して〜」って着物の裾をまくって尻を向けた。
(本人談)


(回顧)

 最近は口上等でも話しが出るネタばかりかも。
 当時放送していた「今宵は勘九郎」で聞いたものを
メモったようである。
 本人の芸談本や関容子さんの本などにも載っている
エピソードであるが、改めてまとめてみると、楽しい
逸話ばかりである(笑)
 先代の勘三郎さんの逸話はいつ聞いても面白いし、
愛嬌ある役者振りがうかがえる。
 また、当時の左団次さんの呆気にとられるくらいの
お茶目ぶりは、歌舞伎役者のイメージを変えたもので
あった。
 この頃から人気も出て、ドラマなどにも出てくる
ようになった。今も左団次さんの舞台や口上は出てくる
だけで楽しみである。
 当時よくこのようなメモを書いていたものだ(笑)