平成3年12月19日

南座新装開場記念 當る申歳 
吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 
三代目中村鴈治郎襲名披露 夜の部
京都南座 四等席


 とうとう行ってしまった…感無量である。
12月17日から20日までの3泊4日で南座へ行くのが
最大の目的で京都へ行って来た。
 たまたま幼なじみが京都で学生生活をしていたのを幸いに
同じ仲間を誘い、押しつけてしまったが、3人で南座
歌舞伎見物としゃれ込んだ。


 南座は鴨川と四条大橋を横にしてそびえる。
 正面は役者名を連ねたまねきが我々を出迎える。
 行った一日目、違う幼なじみと再会した際にも南座
眺めに行きワクワクした心持ちと“ああ京都に来た〜”と
いう実感が今も忘れられない。鈍器で頭を殴られたような
目がぱっちりしたような気持ちって過去になかっただろう。


 実際に入場すると意外と狭く、通路は人に押しつ押さえれつ
とごちゃごちゃしてしまう。三階の自分の席に何とかたどり着き
舞台を見ると、歌舞伎座と違い花道七三までしっかり見える。
これは嬉しかった。でも、“狭い”とイメージはぬぐえない。


 その他、舞妓さんらしいお客や、万之丞さん(現・吉之丞さん)
を見かけたり、歌舞伎座にはない雰囲気を漂わす劇場だった。
 イヤホンガイドがない。
 受け方や拍手のタイミングと観客の反応が東京と違う。


一.実盛物語


実盛:猿之助 瀬尾:段四郎 小万:宗十郎
葵御前:笑也 九郎助:芦燕 小よし:竹三郎
近習:弥十郎、右近、信二郎、猿弥


 2度目の拝見となったが、人間関係が複雑で十分にわかって
いない。封建社会つまり主従関係の厳しさそして恩や仇、
助命に手柄と武家社会の悲劇を改めてうかがる一幕と感じた。
 猿之助の実盛はいつも騒々しい芝居の中でこんなに落ち着いた
役を見たのは初めてだった。ぐっと抑え、前に見た勘九郎
ようにきりっとした感じには欠ける。葵御前が産気づいたときに
驚きの表情など時々身ぶりが世話になり侍らしからぬ仕草を
見かける。大詰めの馬上の見得は良かった。
 段四郎の瀬尾は早口ではっきりしないためか憎々しさに
欠ける。太郎吉のために首を討たれるときの一回転して倒れる
ところは印象的。
 宗十郎の小万は苦しさと悲しさが伝わり、わずかな出ながら
良かった。芦燕の九郎助は口調が侍になるのが変、竹三郎の
小よしは老け役が似合い、吉弥(先代)や菊蔵の後を追って
ほしい。笑也の葵御前はきれい。近習の面々が猿之助一座若手で
かため、顔見世らしい一興か。太郎吉は歌舞伎役者の子役を起用
してほしい。
 猿之助一座は役者揃うが、女形が少ない気がした、笑也の抜擢は
すごいが課題かもしれない。
 隣席の女性方が小万が生き返るところや仁惣太が小柄で討たれる
ところなどうけていたのがちょっと関心した。一緒に行った友人が
義太夫の音色で気持ちよくうとうとしていたのが印象に残る。


二.南座新装開場 三代目中村鴈治郎襲名披露 口上


仁左衛門芝翫吉右衛門〜左団次〜児太郎〜段四郎宗十郎
猿之助我當秀太郎〜孝夫〜鴈治郎〜智太郎〜浩太郎〜
仁左衛門(口上順)


 今まで見た口上の中で豪華な並びだったかもしれない。
 一座にあまり疎遠な猿之助が花を添えているからかもしれない。
 左団次の「兄さんの色気は夜の祇園遊びでつかんでいるようです、
いつかフライデーされないよう気をつけてほしいです」と言えば、
宗十郎が「色気は兄さん、古風は私」とのたまい、猿之助は先代
鴈治郎に「おまえは江戸の息子や」と言われたエピソードを披露
する。仁左衛門の進行が忠臣蔵の口上人形のように古風でしっかり
締める。


三.京鹿子娘道成寺 道行から鐘入りまで


白拍子花子:鴈治郎
所化:我當秀太郎、孝夫、智太郎、浩太郎、徳三郎、竹三郎、
孝太郎、進之介ほか


 初見であり、長唄の調子に合わせてリズムにのってワクワク
させられた。舞踊はよくわからないが、白拍子の美しさに見とれて
自分たちも所化の心持で見られた。歌舞伎って綺麗なものと改めて
思った一幕だった。
 鴈治郎白拍子花子は貫禄十分。最初の出ではうっとりしてしまう。
道行の七三の踊りっぷりは衣装も紺地でぐっと抑えながら髪飾りなど
綺麗だった。テンポも速く感じた。烏帽子姿から鐘への向ける目線は
写真とは比べモノのにならないくらい実際見ると、恨みのすごさ・
執念を大きく感じられた。娘ぶりや小道具を使った踊りは終始見逃せ
なかった。思いが伝わってきた。
 所化は片岡三兄弟とその子弟、鴈治郎子息など上方勢をぜいたくに
使い顔見世らしい。見に行った日は浩太郎の誕生日で舞の話をする。
突然だったようで戸惑いながら語る。浩太郎を引っ張り出した智太郎が
後ろで高笑いしていた。秀太郎の愛嬌と我當のしっかりした所化ぶり
もあり、どこか温かい雰囲気で形式ばっていないのが楽しい。
 翌月は菊五郎歌舞伎座で踊る。江戸前道成寺だろうか。
 ご一緒した友人たちには「踊りはつまらないよ」と言ってしまったが、
「なかなかいいなあ」「踊りもすごい」と言っていたし、踊りの影響か
友人は祖母に扇子を買っていた。ちょっと頭が下がる思いでした。


四.仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場


大星由良之助:吉右衛門 平右衛門:孝夫 おかる:児太郎
力弥:孝太郎 九大夫:芦燕 伴内:坂東吉弥
三人侍:家橘、男寅、亀鶴


 南座を出て右へちょっと歩くと一力茶屋、左に行くと鴨川があり、
京都に来たと思わせる一幕だった。
 吉右衛門の由良之助は父白鸚に似て貫禄ある。三人侍と平右衛門との
やりとりで「仇討ちやめた」と扇子を片手の仕草に色気を感じ、九大夫
をだますところや力弥が持ってきた文をよむところ、平右衛門とおかる
をいさめ本心を語るところなどわかっているのだが、ワクワクハラハラ
させられ目が離せなかった。法界坊、吃又、長兵衛、源蔵、河内山、
俊寛と見続け、今年の見おさめらしいのお役だった。
 3月助六以来の孝夫の平右衛門はおかるに向けて刀を差しだすところ
は丁寧で(団十郎のときは刀を投げ出す)、抑えた平右衛門で仇討ちに
加わりたいという一心とおかるとのやり取りのおかしさと痛快。
 児太郎のおかるは平右衛門が言う「勘平は腹切って死んでしまったあ」
のところの間が忘れられない。力がすーっと抜けていき望みをなくした
女の姿が痛々しい。「間は魔」という口伝を感じた一瞬でした。
 家族の様子をうかがうところや斬りかかる平右衛門とのやりとりなど
兄平右衛門に甘える妹らしさ、かわいらしさ、おちゃめな感じもあり
見ごたえがあった。
 孝太郎の力弥は頬かぶりが似合い、柔らかく少年らしい。芦燕の九大夫
は善人ぶりにみえてしまうがはまっていて亡くなった市蔵の後はこの方
が受け継いでいくお役と思った。吉弥の伴内がかわいらしい道化ぶりで
こんな伴内は見たことがなかったから驚き、これから何度見たい伴内。
万之丞の仲居が印象深い。
 何と言っても、大詰めで由良之助が言う「鴨川で水雑炊を」の台詞は
南座近くに鴨川が流れているせいかリアルに感じた。実際に一力茶屋に
足を運んでみたが、平右衛門が九大夫を背負っていくかと思うとやや
距離があるようにも感じた。
 京都に来た又、京都滞在最後の夜にふさわしい一幕だった。


五.釣女


醜女:宗十郎 太郎冠者:左団次
大名:智太郎 上葛:浩太郎


 いくら綺麗な女性に恋しても、男は結局分相応の女性と結ばれるのかと
考えさせられた。大名はちょっととぼけているが、品があってさっぱり
しているから綺麗な女性と結ばれるのであって、太郎冠者はボケ役なので
醜女と結ばれても、見た目はおかしくないが分相応なんだろうとため息
出る。
 宗十郎の醜女は“待ってました”という感じで、太郎へは唇から頬まで
キスしまくり、口はとがらす、挙句が大名まで頬にキスしてしまうぐらい
やりすぎかもしれないが、顔見世とあってサービス精神旺盛で許してしまう。
これがこの方の愛嬌なんだろう。
 左団次の太郎は普段はとぼけたお役が多いせいか似合う。三々九度を
するときにお姫様でも醜女でも大きな瞳でちらちら見つめる姿は子供の
ようで楽しい。醜女から逃げようとするところは本当にかわいそうで
逆におかしかった。
 夜の部の最終で癒す一幕だった。


まとめ(当時)


配役が逆か
熊谷陣屋:孝夫の熊谷と吉右衛門義経
釣女:宗十郎の醜女と左団次の太郎


信二郎猿之助一座から離れて「熊谷陣屋」の軍次を出ている。


 何と言っても「忠臣蔵」がよかった。「鴨川で水雑炊を」という台詞
から現れるリアルさが何とも言えない。友人は「この芝居、よくできて
いる」と関心していた。個人的には未見の演目が多かった昼の部が見た
かったがヤボはいうまい。南座に来られてよかったの一言に尽きる。


昼の部
一.春調娘七種(我當秀太郎、智太郎)
二.熊谷陣屋(孝夫、吉右衛門芝翫、左団次、信二郎ほか)
三.封印切(鴈治郎、孝夫、我當秀太郎、浩太郎)
四.吉野山猿之助芝翫段四郎


(所感)2012.1.15


 久しぶりの更新で申しわけございません。
 2011年の先月は南座新装開場から20年目とのこと。20年
前の記述ということだ。批評家気分で好き勝手に書いているのが
どこか根拠なく情けない。
 自分の友人の中に京大に通うすごいお友達がいて、彼との再会に
もう一人の共通の友達も誘い、京都観光に南座初観劇と3泊4日で
青春18きっぷで足を運んだ。この年から年越しは必ず南座顔見世
を見ないと年が越せないようになってしまった。幼稚園時代の友人
にも会う前に一人先に南座のまねきを見に行き感激したのを思い出す、
中学の修学旅行以来の寺社観光、友人の京大生のライブなど堪能した。
しばしこの友人にお世話になりながら、観劇遠征が始まる。
 七段目の御当地というリアルさは今でも忘れられない。自分が
歌舞伎を見始めて以来この感動以上のものはないかもしれない。
終演が22時とは歌舞伎座など関東の公演では考えられない上演時間
だったり、関西のお客さんの反応も大向こう一つだけでも違って驚か
された。