平成4年1月17日

寿 初春歌舞伎公演
国立劇場 三等席
一.歌舞伎十八番の内 解脱
二.忍夜恋曲者 将門
三.處女翫浮名横櫛 切られお富


一.歌舞伎十八番の内 解脱
悪七兵衛景清…団十郎 阿古屋…宗十郎
梶原景時段四郎 河内屋伝兵衛…又五郎
六郎…団蔵 十蔵…右之助 長五郎…半四郎
所化…新之助辰之助、十蔵、亀蔵ほか


酒尽くしの景清が阿古屋に騙されたのを知り
源氏討伐に再び改心するという筋。


 「解脱」という言葉の意味が伝わってこなく、
色仕掛けと分かり、信頼していた女に裏切られた
という発端から怒り狂うことがわかるが、所化と
からんだ力強さも物足りないし、阿古屋を鐘に
閉じ込めて心の迷いから解脱するのは論理的には
伝わるがドラマとしては無理がある。
 団十郎の景清は気持ちが足りないからか、
前半の十八番ならではの面白さがありながら、
後半では不可解になっておかしい。前半は助六
ようなキャラクターが現れ、主人公をとりまく。
景清の口上(あけましておめでとうなど)といい、
衣装の豪華さがある。後半はやや盛り下がる。
新聞評では新しい台本がほしいとあったが、
役者次第だと思う。
 団十郎の景清は豪快さ、愛嬌、色気と備えて
いるが肚が足りない。意気込みは感じる。
 宗十郎の阿古屋は、出てきた時の姿が女鯰の
ように見えたが、花柄の衣装が目を見張る。
色気は足りないが、つい甘えたくなりそうな
女性像だった。
 段四郎の梶原は矢と的の柄の衣装と鯰の
ような髪型に大尽のような頭巾をかぶる姿が
印象的。この人がいて芝居が重くなる。
 又五郎の伝兵衛は小さな体で大きな刀を
背負ってくる姿がかわいらしく芝居が濃くなる。
この人で助六の通人が見てみたい。
 新之助辰之助の所化は健気、団蔵と右之助
の役は逆では?右之助の居所もなんか悪い。
半四郎でも合っていたかも。
 もっと充実した芝居で再演を期待したい。


二.忍夜恋曲者 将門
滝夜叉…雀右衛門 光圀…団十郎


 今までいろんな舞踊劇を見たが、これは
単純明快なものは初めてかもしれない。
 雀右衛門の滝夜叉は初役ながら華麗で綺麗。
毛谷村のおそのみたいな男勝りを期待していたが
内に秘めている恨みや凄味が足りないように
見えた。
 団十郎の光圀は群雄割拠のごとく勇ましく
りりしい。この人の質にあった役。将門の敗北を
語るくだりはすっきりしてよかった。姿見もいい。
 屋台崩しなど視覚的に面白く見れた。


三.處女翫浮名横櫛 切られお富
お富…宗十郎 蝙蝠の安蔵…段四郎
与三郎…権十郎 赤間源左衛門…半四郎
幸十郎…友右衛門


 先日「ホットショット」という米空軍エリートを
描いた「トップガン」のパロディ映画を見た。
日本人にはちょっとついていけないノリの笑いが
多くあり、クダラナイと思いつつ笑っていた方
かもしれない。この芝居も「与話情浮名横櫛」・
源氏店・切られ与三のパロディである。
 例えば、安が小銭稼ぎで帰ろうとするのを
与三が止めるが、こちらでは切られお富が
引き止めたり又、安と与三が分け前を分けるのを
安とお富がしたり(心の中での駆け引きがあるが)
とたわいもないが類似している。
 パロディといっても笑いはない。哀れで一途な
女の悲しい運命のストーリーで芝居であった。
幕切れに「哀れだな」とつぶやいたくらいだ。
しかし、当時の観客はこれを見て笑っていたの
だろうか。比較として喜んで見ていたと思うが、
複雑な心境にかられたであろう。この芝居は
幕末のあわただしい時期に作られたとかで
時代背景も関連しているのかもしれない。
 お富は好きな男のために自ら犠牲にしてまで
尽くす女性で、現代ははやらない女性ぶり、
でも、封建社会からではこのような女性は
多く存在したのだろうと思う。暗い時代・
封建的・一途・殺しの残酷さ・欲と自己犠牲…
といくつかの言葉が重なる。一緒に見に行った
仲間も「殺しまでしてまで尽くすとは男女関係
は信頼か」と言っていた。初春の歌舞伎には
ショッキングな内容だった。
 宗十郎のお富はいつもの明るさと違い、
醜い姿からテンポのよいゆすりの場面まで
暗く哀れなイメージを持つ。段四郎の安は
欲望が腹にあって、憎らしさ・強欲さが
みなぎっている。殺されるところは陰惨さ
もある。権十郎の与三郎はわずかな出ながら
お富への好意と同情、白塗りの色男ぶりも
感じられる。友右衛門の幸十郎は見得と
セリフがしっかりしている。半四郎の赤間
ひと癖ある強気な男ぶり。
 この芝居はパロディと言われながら、
陰湿さと哀れさを感じ正月らしくないが、
芝居の世界と現代の雰囲気が重なり怖いとも
感じた。


 祖母が「国立は固いね」と言っていた。
確かにその通り。解脱以外は芯がしっかり
した芝居であった。花もほしい。
団十郎の十八番復活の意気込みは期待したい。


(私感)
 十八番に惚れた大学仲間と行く。
 「解脱」はこれ以降上演されていないと思う。
この当時「解脱」という言葉は初めて聞き、
いわゆる「煩悩から解放される」という意の
宗教上の語句らしい、のちに起こるオウム事件
逮捕された教祖が「解脱」という言葉を口にして
いたが、ここの信者たちは余計に悩まされること
になる。それだけ偉い高僧が口にする言葉と
思われる。
 雀右衛門宗十郎団十郎段四郎と重厚な
一座で玄人好みな芝居で若かった自分にはもの
珍しさを感じた。その中で宗十郎さんのお富は
明るい芸風の中でこのような重荷を背負った
女性を見せる女形の底力を見たような気がした。

平成4(1992)年1月6日

平成4年(1992)年1月6日(月)
歌舞伎座 一幕見席


壽 初春大歌舞伎
京鹿子娘道成寺 道行より鐘入りまで
宇野信夫追悼 鴛鴦の賦 ぢいさんばあさん


京鹿子娘道成寺
白拍子花子:菊五郎
所化:丑之助、鶴蔵、正之助、由次郎、獅童ほか


 途中から見たので、聞いたか坊主の登場と舞の話そして
道行は残念ながら見られなかった。ちょうど烏帽子を
かぶった花子の舞の始まりから見ることができたので
タイミングは良かった。
 先月鴈治郎の花子を見たばかりで上方の道成寺を見た
気がしたが、今月は江戸の道成寺を見る。振付は同じ
なのでどこか上方でどこか江戸なのかはわからない。
雰囲気や気品の差であろうか。
 鴈治郎の花子はふっくらした日本古来の美人像で
道行の出はきらびやかな姿は忘れられない。今回の
菊五郎の花子は鋭い眼のため、鐘への視線がこわく、
凄みがある。安珍への恨みや怨念がひどく痛く感じる。
そのような凄みの一方でくどきや恋する娘の姿を踊る
ところは可憐でかわいらしい。すごみと華麗と矛盾する
ような姿に心打たれた。
 所化は丑之助のけなげな姿が印象的。父菊五郎への
視線が熱い。時期には彼の花子も見られるだろう。
鶴蔵は気の毒。浅草の「入谷」のそばやとかけ持ちで
大変だが、若手の中での老けは変に感じた。
 二度目の拝見ながら“また見たい”という気がして
ならない。芝居も役者次第と思う舞踊。4月には児太郎
改め福助が踊る。今後も様々な女形で見ていきたい。


宇野信夫追悼 鴛鴦の賦 ぢいさんばあさん
伊織:幸四郎 るん:芝翫
下島:団蔵 久右衛門:歌六
久弥:信二郎 きく:児太郎 ほか


 今興行のお目当て。野郎一人で見て“ああ隣に彼女でも
いればなあ”なんて思わせるような幸せいっぱいの芝居。
 伊織は悪友下島から借金したことが原因で誤って下島を
斬ってしまうのだが、こんな夫を妻は普通許さないだろう
に温かい心の広い妻の愛情の深さに感動した。妻るんの姿
がおちゃめでかわいらしく、伊織も幸せに見えてしまう。
だから、やきもちして帰る久右衛門の気持ちもわかる。
再会の時は、家を預かっていた久弥夫婦も伊織夫婦の若い
ころにそっくりで対比して描かれている。今のサラリー
マンの様子をうかがわせるような伊織と下島のつきあいなど
よくできた芝居である。追悼の宇野信夫を演出が憎い。
 幸四郎の伊織は先月の六助のような愛嬌があって、武士と
いうしっかりしたところと友人関係の悲哀さも出てよかった。
初役だったそうで大した役ぶりでした。
 芝翫のるんはお茶目でかわいらしく見える。いつも芯の
しっかりした役柄を見ている中、るんはよかった。
 団蔵の下島はしつこいところが日常でもこういう人いると
思わせる。役にはまる。憎らしさだけでなく愛嬌もほしいし
嫌われてもいても少しはいいところも見せてほしいなあ。
 歌六の久右衛門は伊織夫婦へのやきもちが面白かった。
信二郎と児太郎の久弥夫婦はまさに幸せな夫婦と思えた。
児太郎のきくは綺麗だった。
 自分の近くに両親と同じぐらいの夫婦が観劇していて、
お幸せそうだった。芝居もよく見ていて、男性は「伊織の
気持ちもわかるような気がする」とつぶやいていた。
 後日、友人に話すとタイトルでふきだしていたが、展開を
話すと真顔になっていた。
 正月早々、幸せいっぱいな芝居を見て、今年もいいことが
あればいいなあと思った。


昼の部
舌出し三番叟(三津五郎田之助
石切梶原(吉右衛門、児太郎、三津五郎権十郎歌昇
鈴が森(羽左衛門梅幸
四の切(猿之助ほか)…上演千回記念


夜の部
将軍頼家(歌右衛門福助吉右衛門、松江)
京鹿子娘道成寺
ぢいさんばあさん


メモ)


菊五郎道成寺は華麗!幸四郎芝翫も春らしい芝居だった。
昼の部の梅幸権八羽左衛門の長兵衛も見ものかも。
1月19日、両親に二千円の席ながら昼の部へ行っていただく。
1月18日、猿之助の四の切は1000回上演を迎えた。


(所感)


 駒込田端に住む祖母の家に新年挨拶に行き、その帰りに
歌舞伎座に寄ったのだと思う。“見に行こう”という
バイタリティーの現れ、若かったということだ。
 昼の部の故梅幸、故羽左衛門の鈴が森は見たかった。
また夜一番の故歌右衛門の政子も迫力あったはず。
 今後も菊五郎さんの道成寺は何度か見ている。丑之助…
今の菊之助さんのは単独での道成寺は20年後の平成22年11月に
初めて見ることになる。ぢいさんばあさんも様々な役者コンビ
で見ていく。
 あれだけ何度も見ていて、このとき千回上演を迎えた
猿之助さんの狐忠信も今は懐かしい。
 いい年になれば…と願っているが、この年は就職の年で
社会人1年生でいろいろと壁にぶつかる年だったと思うが、
様々な人との出会いや旧友に支えられた年でもあったと思う。

平成3年12月19日

南座新装開場記念 當る申歳 
吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 
三代目中村鴈治郎襲名披露 夜の部
京都南座 四等席


 とうとう行ってしまった…感無量である。
12月17日から20日までの3泊4日で南座へ行くのが
最大の目的で京都へ行って来た。
 たまたま幼なじみが京都で学生生活をしていたのを幸いに
同じ仲間を誘い、押しつけてしまったが、3人で南座
歌舞伎見物としゃれ込んだ。


 南座は鴨川と四条大橋を横にしてそびえる。
 正面は役者名を連ねたまねきが我々を出迎える。
 行った一日目、違う幼なじみと再会した際にも南座
眺めに行きワクワクした心持ちと“ああ京都に来た〜”と
いう実感が今も忘れられない。鈍器で頭を殴られたような
目がぱっちりしたような気持ちって過去になかっただろう。


 実際に入場すると意外と狭く、通路は人に押しつ押さえれつ
とごちゃごちゃしてしまう。三階の自分の席に何とかたどり着き
舞台を見ると、歌舞伎座と違い花道七三までしっかり見える。
これは嬉しかった。でも、“狭い”とイメージはぬぐえない。


 その他、舞妓さんらしいお客や、万之丞さん(現・吉之丞さん)
を見かけたり、歌舞伎座にはない雰囲気を漂わす劇場だった。
 イヤホンガイドがない。
 受け方や拍手のタイミングと観客の反応が東京と違う。


一.実盛物語


実盛:猿之助 瀬尾:段四郎 小万:宗十郎
葵御前:笑也 九郎助:芦燕 小よし:竹三郎
近習:弥十郎、右近、信二郎、猿弥


 2度目の拝見となったが、人間関係が複雑で十分にわかって
いない。封建社会つまり主従関係の厳しさそして恩や仇、
助命に手柄と武家社会の悲劇を改めてうかがる一幕と感じた。
 猿之助の実盛はいつも騒々しい芝居の中でこんなに落ち着いた
役を見たのは初めてだった。ぐっと抑え、前に見た勘九郎
ようにきりっとした感じには欠ける。葵御前が産気づいたときに
驚きの表情など時々身ぶりが世話になり侍らしからぬ仕草を
見かける。大詰めの馬上の見得は良かった。
 段四郎の瀬尾は早口ではっきりしないためか憎々しさに
欠ける。太郎吉のために首を討たれるときの一回転して倒れる
ところは印象的。
 宗十郎の小万は苦しさと悲しさが伝わり、わずかな出ながら
良かった。芦燕の九郎助は口調が侍になるのが変、竹三郎の
小よしは老け役が似合い、吉弥(先代)や菊蔵の後を追って
ほしい。笑也の葵御前はきれい。近習の面々が猿之助一座若手で
かため、顔見世らしい一興か。太郎吉は歌舞伎役者の子役を起用
してほしい。
 猿之助一座は役者揃うが、女形が少ない気がした、笑也の抜擢は
すごいが課題かもしれない。
 隣席の女性方が小万が生き返るところや仁惣太が小柄で討たれる
ところなどうけていたのがちょっと関心した。一緒に行った友人が
義太夫の音色で気持ちよくうとうとしていたのが印象に残る。


二.南座新装開場 三代目中村鴈治郎襲名披露 口上


仁左衛門芝翫吉右衛門〜左団次〜児太郎〜段四郎宗十郎
猿之助我當秀太郎〜孝夫〜鴈治郎〜智太郎〜浩太郎〜
仁左衛門(口上順)


 今まで見た口上の中で豪華な並びだったかもしれない。
 一座にあまり疎遠な猿之助が花を添えているからかもしれない。
 左団次の「兄さんの色気は夜の祇園遊びでつかんでいるようです、
いつかフライデーされないよう気をつけてほしいです」と言えば、
宗十郎が「色気は兄さん、古風は私」とのたまい、猿之助は先代
鴈治郎に「おまえは江戸の息子や」と言われたエピソードを披露
する。仁左衛門の進行が忠臣蔵の口上人形のように古風でしっかり
締める。


三.京鹿子娘道成寺 道行から鐘入りまで


白拍子花子:鴈治郎
所化:我當秀太郎、孝夫、智太郎、浩太郎、徳三郎、竹三郎、
孝太郎、進之介ほか


 初見であり、長唄の調子に合わせてリズムにのってワクワク
させられた。舞踊はよくわからないが、白拍子の美しさに見とれて
自分たちも所化の心持で見られた。歌舞伎って綺麗なものと改めて
思った一幕だった。
 鴈治郎白拍子花子は貫禄十分。最初の出ではうっとりしてしまう。
道行の七三の踊りっぷりは衣装も紺地でぐっと抑えながら髪飾りなど
綺麗だった。テンポも速く感じた。烏帽子姿から鐘への向ける目線は
写真とは比べモノのにならないくらい実際見ると、恨みのすごさ・
執念を大きく感じられた。娘ぶりや小道具を使った踊りは終始見逃せ
なかった。思いが伝わってきた。
 所化は片岡三兄弟とその子弟、鴈治郎子息など上方勢をぜいたくに
使い顔見世らしい。見に行った日は浩太郎の誕生日で舞の話をする。
突然だったようで戸惑いながら語る。浩太郎を引っ張り出した智太郎が
後ろで高笑いしていた。秀太郎の愛嬌と我當のしっかりした所化ぶり
もあり、どこか温かい雰囲気で形式ばっていないのが楽しい。
 翌月は菊五郎歌舞伎座で踊る。江戸前道成寺だろうか。
 ご一緒した友人たちには「踊りはつまらないよ」と言ってしまったが、
「なかなかいいなあ」「踊りもすごい」と言っていたし、踊りの影響か
友人は祖母に扇子を買っていた。ちょっと頭が下がる思いでした。


四.仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場


大星由良之助:吉右衛門 平右衛門:孝夫 おかる:児太郎
力弥:孝太郎 九大夫:芦燕 伴内:坂東吉弥
三人侍:家橘、男寅、亀鶴


 南座を出て右へちょっと歩くと一力茶屋、左に行くと鴨川があり、
京都に来たと思わせる一幕だった。
 吉右衛門の由良之助は父白鸚に似て貫禄ある。三人侍と平右衛門との
やりとりで「仇討ちやめた」と扇子を片手の仕草に色気を感じ、九大夫
をだますところや力弥が持ってきた文をよむところ、平右衛門とおかる
をいさめ本心を語るところなどわかっているのだが、ワクワクハラハラ
させられ目が離せなかった。法界坊、吃又、長兵衛、源蔵、河内山、
俊寛と見続け、今年の見おさめらしいのお役だった。
 3月助六以来の孝夫の平右衛門はおかるに向けて刀を差しだすところ
は丁寧で(団十郎のときは刀を投げ出す)、抑えた平右衛門で仇討ちに
加わりたいという一心とおかるとのやり取りのおかしさと痛快。
 児太郎のおかるは平右衛門が言う「勘平は腹切って死んでしまったあ」
のところの間が忘れられない。力がすーっと抜けていき望みをなくした
女の姿が痛々しい。「間は魔」という口伝を感じた一瞬でした。
 家族の様子をうかがうところや斬りかかる平右衛門とのやりとりなど
兄平右衛門に甘える妹らしさ、かわいらしさ、おちゃめな感じもあり
見ごたえがあった。
 孝太郎の力弥は頬かぶりが似合い、柔らかく少年らしい。芦燕の九大夫
は善人ぶりにみえてしまうがはまっていて亡くなった市蔵の後はこの方
が受け継いでいくお役と思った。吉弥の伴内がかわいらしい道化ぶりで
こんな伴内は見たことがなかったから驚き、これから何度見たい伴内。
万之丞の仲居が印象深い。
 何と言っても、大詰めで由良之助が言う「鴨川で水雑炊を」の台詞は
南座近くに鴨川が流れているせいかリアルに感じた。実際に一力茶屋に
足を運んでみたが、平右衛門が九大夫を背負っていくかと思うとやや
距離があるようにも感じた。
 京都に来た又、京都滞在最後の夜にふさわしい一幕だった。


五.釣女


醜女:宗十郎 太郎冠者:左団次
大名:智太郎 上葛:浩太郎


 いくら綺麗な女性に恋しても、男は結局分相応の女性と結ばれるのかと
考えさせられた。大名はちょっととぼけているが、品があってさっぱり
しているから綺麗な女性と結ばれるのであって、太郎冠者はボケ役なので
醜女と結ばれても、見た目はおかしくないが分相応なんだろうとため息
出る。
 宗十郎の醜女は“待ってました”という感じで、太郎へは唇から頬まで
キスしまくり、口はとがらす、挙句が大名まで頬にキスしてしまうぐらい
やりすぎかもしれないが、顔見世とあってサービス精神旺盛で許してしまう。
これがこの方の愛嬌なんだろう。
 左団次の太郎は普段はとぼけたお役が多いせいか似合う。三々九度を
するときにお姫様でも醜女でも大きな瞳でちらちら見つめる姿は子供の
ようで楽しい。醜女から逃げようとするところは本当にかわいそうで
逆におかしかった。
 夜の部の最終で癒す一幕だった。


まとめ(当時)


配役が逆か
熊谷陣屋:孝夫の熊谷と吉右衛門義経
釣女:宗十郎の醜女と左団次の太郎


信二郎猿之助一座から離れて「熊谷陣屋」の軍次を出ている。


 何と言っても「忠臣蔵」がよかった。「鴨川で水雑炊を」という台詞
から現れるリアルさが何とも言えない。友人は「この芝居、よくできて
いる」と関心していた。個人的には未見の演目が多かった昼の部が見た
かったがヤボはいうまい。南座に来られてよかったの一言に尽きる。


昼の部
一.春調娘七種(我當秀太郎、智太郎)
二.熊谷陣屋(孝夫、吉右衛門芝翫、左団次、信二郎ほか)
三.封印切(鴈治郎、孝夫、我當秀太郎、浩太郎)
四.吉野山猿之助芝翫段四郎


(所感)2012.1.15


 久しぶりの更新で申しわけございません。
 2011年の先月は南座新装開場から20年目とのこと。20年
前の記述ということだ。批評家気分で好き勝手に書いているのが
どこか根拠なく情けない。
 自分の友人の中に京大に通うすごいお友達がいて、彼との再会に
もう一人の共通の友達も誘い、京都観光に南座初観劇と3泊4日で
青春18きっぷで足を運んだ。この年から年越しは必ず南座顔見世
を見ないと年が越せないようになってしまった。幼稚園時代の友人
にも会う前に一人先に南座のまねきを見に行き感激したのを思い出す、
中学の修学旅行以来の寺社観光、友人の京大生のライブなど堪能した。
しばしこの友人にお世話になりながら、観劇遠征が始まる。
 七段目の御当地というリアルさは今でも忘れられない。自分が
歌舞伎を見始めて以来この感動以上のものはないかもしれない。
終演が22時とは歌舞伎座など関東の公演では考えられない上演時間
だったり、関西のお客さんの反応も大向こう一つだけでも違って驚か
された。

平成3年12月19日

南座新装開場記念 當る申歳 
吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 
三代目中村鴈治郎襲名披露 夜の部
京都南座 四等席


 とうとう行ってしまった…感無量である。
12月17日から20日までの3泊4日で南座へ行くのが
最大の目的で京都へ行って来た。
 たまたま幼なじみが京都で学生生活をしていたのを幸いに
同じ仲間を誘い、押しつけてしまったが、3人で南座
歌舞伎見物としゃれ込んだ。


 南座は鴨川と四条大橋を横にしてそびえる。
 正面は役者名を連ねたまねきが我々を出迎える。
 行った一日目、違う幼なじみと再会した際にも南座
眺めに行きワクワクした心持ちと“ああ京都に来た〜”と
いう実感が今も忘れられない。鈍器で頭を殴られたような
目がぱっちりしたような気持ちって過去になかっただろう。


 実際に入場すると意外と狭く、通路は人に押しつ押さえれつ
とごちゃごちゃしてしまう。三階の自分の席に何とかたどり着き
舞台を見ると、歌舞伎座と違い花道七三までしっかり見える。
これは嬉しかった。でも、“狭い”とイメージはぬぐえない。


 その他、舞妓さんらしいお客や、万之丞さん(現・吉之丞さん)
を見かけたり、歌舞伎座にはない雰囲気を漂わす劇場だった。
 イヤホンガイドがない。
 受け方や拍手のタイミングと観客の反応が東京と違う。


一.実盛物語

二.南座新装開場披露 三代目中村鴈治郎襲名披露口上

三.京鹿子娘道成寺 道行から鐘入りまで

四.仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場

五.釣女

[*歌舞伎]